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市報松江 2006.7
みんなの文化財
布志名焼 ようがまねんすうしょ
松江市玉湯町

御用窯年数書本文(同)
御用窯年数書本文(同)
 布志名焼は、出雲の代表的な焼き物のひとつです。江戸時代の中ごろ、寛延三(1750)年に玉湯町布志名で始まりました。今日まで約250年、かつては黄釉地きぐすりじ色絵を施した焼き物で、一世を風靡ふうびしました。
 七代藩主松平治郷はるさと(不昧)公(1751〜1818年)は、大名茶人として、美術工芸を保護奨励したことはご存知のとおりです。しかし当時の布志名焼は今ひとつの出来で、不昧公の眼鏡にかなう陶工がいなかったようです。そこで、楽山焼再興にあたっていた初代土屋善四郎を「御焼物御用教方」として、安永九(1780)年に布志名への引っ越しを命じました。土屋家は、以後明治維新まで四代にわたり、御用窯を勤めました。文化元(1804)年には、初代永原與蔵よぞうが御用窯に取り立てられ、幕末までに三代が勤めを果たしました。両窯はいわば松江藩お抱えの窯元でした。
 御用窯年数書(勤功録とも記される)は二つの窯元から藩あてに差し出しされたものです。土屋家分十冊、永原家分一冊が残されています。土屋家は二代善四郎から四代善六までの三名、永原家は三代永助の手になるものです。
 年数書には、初代から自分の代まで、藩から与えられた身分、精勤の様子などがこと細かく記されています。例えば、給料が「ご給米五俵、京桝二人扶持」で名字帯刀を許されていたこと、江戸藩邸や玉造お茶屋でもたびたび「御茶碗焼御用」を仰せつかっていたこと、藩主ばかりでなく、さまざまな家臣からも多数の注文があったことなどが、この年数書を読めばわかります。
 十一冊の年数書は、布志名焼の歴史や御用窯の実態を具体的に知ることのできる貴重な史料として、市指定の文化財になっています。一部を出雲玉作資料館で展示中です。

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