市報松江 2020.3

コラム神国の首都Vol.124

相手をやり込めたと思ったら、すぐに手痛いしっぺ返しを食らう。一瞬にして立場が逆転するカウンターパンチは身にも心にもこたえるもの。(よわい)を重ねるごとに、若き日にしっぺ返しを食らった苦い体験の数々が脳裏をよぎります。
この、しっぺ返しは、禅寺の座禅で、戒めのために僧が互いに打ち合う弓状の杖・竹箆(しっぺい)が由来とされます。ジャンケンに負けて手首や手の甲を人差し指と中指で思い切り打たれ、しびれるような痛みに飛び上がった子ども時代。ジャンケンに勝った、はなたれ小僧が得意げに叫んだ「しっぺ」も竹箆からきているとか。「しっぺ」。懐かしい言葉ですね。

時代の流れがコトリ

その竹箆を片手に握った若き修行僧が、何人もの僧と激しい禅問答を繰り広げる首座法戦式(しゅそほっせんしき)に参列しました。修行僧のリーダー(首座)が、居並ぶ修行僧らを相手に仏法について禅問答を交わし、認められれば住職になれる、第一段階のステップにして一生に一度の厳粛な儀式。
松江から離れた愛媛県新居浜市の禅寺に入山して1年にも満たない20歳の修行僧に果たして大役が果たせるのか。その心配・不安も、入門前のヤンチャな彼のイメージと古式にのっとった儀式とのギャップへの戸惑いもすべて杞憂(きゆう)にすぎませんでした。問答の意味はチンプンカンプンでしたが、次第に熱を帯びる問いに、時に竹箆を強く床に打ち付けて強い口調で堂々と答える彼は、まるで別人でした。
法戦式を終えても表情ひとつ変えず、島根に帰る人たちに無言で深々と頭を垂れる彼の凛々(りり)しい姿と、車窓に映るわが顔を見比べて、私の中で何かがコトリと音を立てたのでした。

自信と誇りを持って

10年ひと昔。市観光文化プロデューサーだった高橋一清さんからいただいた題号「神国の首都」のもと、コラムを始めたのが2009(平成21)年12月。松江を愛した小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)が、日本で最初に著した「知られざる日本の面影」の中で、松江を「神々の首都」と紹介していることから思いつかれたに違いない題号の意味を自らに問いながら、10年4カ月が経ってしまいました。高橋さんが言いたかったのは「ハーンに負けないぐらい松江を愛し、誇りに思い、広く発信してほしい」ではなかったのか―。
年が明けて、初回から今年2月号までの123作を改めて読み返してみました。高橋さんの思いを反芻(はんすう)しながら、初回に記した「市民の皆さんと一緒にクスリ(笑い)とし、時に涙腺が緩んだり、怒ったりと、感情の共有ができたら…」を意識しながら書き続けてきましたが、いかがだったものやら自信はありません。

長い間の愛読に感謝

平成から令和の世に移り、題号の名付け親の高橋さんは松江を去り、幼稚園児だった孫の(瑛)君は今春から高校3年生に。かく言う私も古希(数え年70歳)をオーバーランしてしまい、これ以上「しっぺ返し」を食らうと心身ともに持ちそうにない年代になってしまいました。体は縮むばかりで、恥を上塗りするスペースもなく、かくして年度替わりの3月を節目として「神国の首都」を完結させていただくことになりました。長い間のご愛読を心から感謝します。本当にありがとうございました。
(瑛)

年経(ふ)れば
よはいは老ひぬ
しかはあれど
花をし見れば
もの思ひもなし
〈古今集・藤原良房〉

シリーズ景観72
「みんなで残したい松江の景観400選集」は、市ホームページでご覧いただけます。
【問い合わせ】まちづくり文化財課(電話:55-5387) 佐陀川の風景 No.58
佐陀川は、宍道湖北東岸の浜佐田から島根半島を横切り、鹿島町恵曇で日本海へつながる人工の河川です。
松江藩松平家七代藩主治郷(不昧)の時代に、松江藩の普請奉行吟味役(土木関係の諸業務を司る役職)だった清原太兵衛の主導によって開削され、沿岸の水害緩和や水上交通による地域経済産業の発展、新田開発にも大きく寄与しました。
写真は、鹿島町に架かる武代橋から見た佐陀川の風景です。
近くには県内初の公共マリーナ「鹿島マリーナ」があり、水陸合わせて252隻が収容可能。マリンスポーツや釣りを楽しむ人たちの拠点となっています。
夏には、手作りいかだで佐陀川を下り海へ漕ぎ出すイベントが開催され、参加者はオールを漕ぎながら水上からの風景を眺め、自然を体感することができます。
鹿島町のご当地キャラクター「さだがわん」のデザインにも取り入れられ親しまれている佐陀川の風景は、守り継ぎたい松江の景観のひとつです。 『みんなで残したい松江の景観400選集』から
このページの先頭へ戻る