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登録有形文化財の登録について

平成14年5月17日
教育委員会文化財課

本日、国の文化審議会文化財分科会が開催され、下記の建造物を文化財登録原簿 へ登録するよう文部科学大臣に答申がありました。

1名称(1)旧米江旅館本館北棟
(2)旧米江旅館本館南棟
2所在地松江市伊勢宮町535番地
3年代昭和2年
4登録基準該当「 二 造形の規範となっているもの 」
5 特徴・評価  松江城下の市街地にある老舗の旅館建築。
 敷地北側の街路に面して建つ北棟は、切妻造・平入の2階建で、入母屋造の玄関を設ける。2階を客室6室とするが、各室ごとに良質の銘木・珍木を用い趣向を凝らした座敷飾を整え、当時の和風建築のあり様を示している。
 敷地南側の街路に面して建つ南棟は、切妻造・平入の2階建で、1階を食堂と茶室、2階を客室3室とする。2階15畳の広間は折上格天井で、繊細な付書院を備える。よく吟味した材料を用い、瀟洒な造形にまとめている。
6今回の登録件数全国で145件、県内・市内では本件のみ。
7市内の登録件数本件が第1号である。(県内では11件目)


旧米江旅館本館
所在地:松江市伊勢宮町/建物用途:旅館/旧名称:米江楼/所有者:米江祥子/
建築年:昭和2年/構造:北棟 木造2階建、南棟 木造2階建一部鉄筋コンクリート造/
員数:2棟/大工棟梁:大野某(和多見町)/指物師:堀越清一(母衣町)/建具師:湯浅惣十郎

(所見)
 旧米江旅館(米江楼)のある伊勢宮町は松江市街地を南北に分断する大橋川の南岸に位置する。江戸時代は城下町郊外の水田地帯であり、町名の由来は寛文4年に松平直政が伊勢宮を勧請したことによる(伊勢宮は明治7年に焼失している)。明治24、5年頃に和多見町の妓楼が移転し、新地遊廓となる。第2次大戦後、遊廓の大半は旅館・料亭となり、次第に姿を消すが、一帯は、現在も松江市における歓楽街の一つである。
 この歓楽街の一画にある旧米江旅館は当主米江大輔(M7/10/25〜S25/12/12)が7年の歳月を費やして全国各地から資材を集め、大正12年から5年かかって昭和2年に完成したと伝えられている建物である。
 登録対象建物は南北の道路に挟まれた間口7間半、奥行12間の敷地に、中庭と厨房等を挟んで建つ2棟からなる本館である。(西側に隣接する新館は昭和42年の建築)。
 本館北棟は梁間6間、南側の本館南棟は梁間3間半である。本館北棟の外観は1階に出格子が付き、2階は全面ガラス戸が入る。玄関上部には2羽の鳩を彫った妻飾りがある入母屋破風が付き、入口は1間幅の両引き戸が入り、戸の内外は御影石(万成石)が敷き詰められ、上がり鼻には欅材の落ち縁が二方に巡り、どっしりと落ち着いた玄関構えで、左手の階段が2階の客室に導いてくれる。階段は欅の角材が段状に重ねて造られ、手摺と併せてこれも重厚な造りとなっている。入口周辺の材は総じて木太い。
 本館北棟は、1階に玄関、居間、事務室等が配置され、2階が客間となる。2階は、中央棟通りに1間幅の中廊下があり、前面に松(8畳)、竹(6畳)、梅(6畳)の3室が並び、後方の庭面には楓(6畳)、桐(6畳)、桜(変形6畳)の3室が並ぶ。本館南棟は1階に食堂、茶室が配置され、2階は、東側に広間(15畳)があり、西側に亀(4畳半)、鶴(4畳半)の室が前後に並ぶ。南棟には、中庭の反対側に2階建の廊下・便所・厨房等が附設されているが、便所部分は鉄筋コンクリート造になっている。
 客室等はいずれも床、棚、書院等を備えているが、その意匠や材料は室ごとに異なる。床や棚板の材は松の一枚板や欅材等で、床柱は天然絞りの杉、皮付き松丸太、竹、欅の四方柾、自然木、古木などの銘木が使用され、天井も室ごとに意匠・材料が異なる。障子の桟も塵返し面組とし、腰を桐の無双腰とするなど建具等にも細かい仕事が施されている。
 以上、旧米江旅館の本館2棟は、その建築年代や意匠からみて、戦前の伊勢宮町の面影を伝える貴重な歴史的遺産であるばかりでなく、質的にも優れており、山陰地方でも近代和風建築として特筆すべき存在である。
 このように旧米江旅館本館は、意匠的にも、技術的にも優れた近代和風建築遺構であり、登録有形文化財登録基準(平成8年文部省告示第152号)の「二 造形の規範となっているもの」に十分に該当する建造物である。

松江市文化財保護審議会委員 和田嘉宥
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