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市報松江 2009.7
 松江城天守雛形は、江戸時代の寛永年間(1624〜1644)、大工頭の元祖竹内右兵衛が松江城を修理する際、作成したものと伝えられています。
 元祖竹内右兵衛は、初代松江藩主となる松平直政に奉公し、越前大野城・信州松本城で大工として仕え、松平直政が出雲国を拝領した時、随従して松江城の大工頭となりました。寛永15(1638)年、松江藩主松平直政へ、天守に三尺あまり(約90cm)の傾きがあることを申し出たところ、修復を命じられ、その修理方法を考えるために天守の雛形を作成した時のものといわれています。
photo  構造は、松江城天守と同じ五層六重附櫓ごそうろくじゅうつけやぐらで、高さは、三尺三寸五分(約101.5cm)で松江城天守の約30分の1の縮尺となっています。
 この天守雛形は、修復した後も、御月見櫓下に納められ、歴代の藩主が天守に登る時にはいつも御覧になったということです。
 明治3(1870)年、廃藩の折、八代目竹内右兵衛が願い出て、竹内家が所有することになりましたが、明治20(1887)年、楽山神社へ奉納されました。
 松江城天守の構造を考える上で貴重なことから、昭和28(1953)年松江市指定文化財に指定されました。現在は、松江城天守内で保管展示されています。
開府400年祭 みんなの文化財<74>
「松江城天守雛形(まつえじょうてんしゅひながた)」