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市報松江 2012.3

 久方ぶりに広島市を訪ね、電車や人々が行き交う繁華街を歩いていたときのことです。立ち並ぶビルが途切れた空間をひょいと見上げると、むくろと化した建物が目に飛び込んできました。原爆ドームでした。鉄骨がむき出しになり、劣化調査で全身を鉄パイプの足場で覆われた姿を見た途端に気持ちがざわめいたのです。モノトーンの建物が逆光でいよいよ色を失い、陰鬱な影となって迫ってきたせいもあったのかもしれません。凄惨せいさんな光景がフラッシュバックのように脳裏に浮かび上がり、思わず立ちすくんでしまいました。
 1年前の3月11日に起きた東日本大震災。東日本が地震と津波に襲われた翌日午後、福島第一原発1号機が水素爆発を起こします。その2日後に3号機、3日後には4号機が水素爆発。2号機も格納容器などが大きな被害を受けていると思われ、深刻な事態は続いたままです。原子炉建屋の天井部分が吹っ飛び、支える鉄骨はいびつに曲がり、ひしゃげたまま。分厚い外壁も多くが吹き飛ばされて無残な姿をさらしています。そう、原爆ドームと福島第一原発事故現場の惨状が重なり合ったのです。
 1年たった今も、福島では原発事故のため県内9町村が役場ごと避難し、医療・健康、教育などさまざまな不便を強いられています。職がない、野菜や米を収穫しても売れない、魚を獲っても買い手がつかない、家族が一緒に暮らせない…。ないない尽くしの生活がいつまで続くのか、住み慣れた家にいつ帰れるのか。原発事故の原因、原子炉の被害実態といった核心部分さえいまだに分からず、希望の火はなかなか見えそうにありません。希望が見えない闇夜の毎日がどんなに辛いものなのか。想像することさえかないません。
 戦争と平和。使う目的が対極にある原爆と原発のイメージが重なる不幸に、どう向き合えばいいのか。県庁所在地で唯一原発を抱える松江市に暮らすわれわれにとって、フクシマは決して他人事ではないのですが、1年という時間の流れが、少しずつ何かを風化させてはいないのか。原爆ドームの周りを歩きながら自問自答を繰り返しました。
 人類史上最初の原子爆弾使用による惨状を伝える歴史の証人、「同じ悲劇を繰り返さないように」との願い、誓いのシンボルとして原爆ドームは「負の世界遺産」と呼ばれています。半周し、朝日を受けた原爆ドームを振り返った時、こう語りかけられているように思えたのです。「(原発問題から)逃げずに正面から向かい合いなさい」と。

(瑛)
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