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市報松江 2012.3
松江の皆さん こんにちは
昭和7年松江市北堀町生まれ。北堀小卒業、松江工業修道館退学、松江工業高校卒業。(株)大崎建設、日本国土開発(株)、(株)トデック、(株)吉本組などに勤務。広島市西区中広町在住。町内会長。

 北堀町で生まれ、今はもうない北堀小学校を卒業しました。高校卒業後上京し、いろんな会社を転々として定年を広島の地で迎え、老後の生活を送っています。六十年近く離れた古里を思い起こせば、懐かしい事ばかりです。
 小学校時代の思い出は、北堀橋のたもとでのバナナのたたき売り、堀川での四ツ手網のシラウオ捕り、そして昔の商工学校横の溝川でのフナ釣りなど。不昧公からの茶処であり、住む人々はお手前をしつけられました。私も小学校三年生の時、抹茶のお手前を習った記憶があり、今でも茶の道具を持ち一人でたしなんでいます。ゆとりのある城下町でした。
 小学校卒業後、五年制の松江工業修道館の建築科に入学。途中退学し、昼は松江土木出張所で働きながら、松江工業高校定時制で四年勉学に励みました。今で言う中学生時代を、物資のない戦中戦後に過ごしたわけで、幼いころ父を亡くした母が食べ盛りの子を抱えてよくぞ育ててくれたものです。
 当時の松江工業高校は天神川の辺りにあり、その後古志原に移転しました。よく天神川が氾濫し、「全員ただちに下校」の放送に喜んだのも、今は懐かしい思い出です。
 学びながら働いていた土木出張所では、天神橋の架け替え工事、竪町の道路の拡張整備工事、塩見縄手の舗装工事、東本町の道路整備工事など県の直轄工事に携わりました。鉄板で砂を焼き碎石さいせきを作り、アスファルトを溶かして人力で混ぜて作って配り、ローラーで転圧。近代的設備があるわけではなく、すべてが手作業で数々の工事は本当に重労働でした。思い出せば、松江の戦後のまち造りに自分たちの労力が役に立ったのではないでしょうか。少しは古里に貢献したとの自負が、今も自分の支えとなっています。
 そして、現在。80歳の老人でも、ボランティアを続けていきたい、陰陽の架け橋になれば、と思っています。町内会長十年、社会福祉協議会理事、マンション管理組合の理事長に監査役、相談役、島根県出身の市会議員の後援会などなど。いつまでも古里を思い忘れることはありません。

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会長 岡本榮一(連絡先 TEL&FAX 082-871-0006)